2006年 05月 15日
タブーなんでしょうが・・・ |
アピスト(熱帯魚)に関する自分の思いを書きたいと思います。
まず、アピストという魚に関して僕はかなり特別な感情をいだいています。
“愛情”と言うものとは違うかもしれませんがかなりそれに近いものを感じています。
ですが、あくまで観賞魚なので自分の好みの(綺麗と思える)個体にたいしてだけです。
シクリッドってのは魚の進化の最先端にいると思います。子育てなどの方法を見ても
分かりますし、個体差が激しい事からもわかります。
ですから、人間と同じように環境次第でいくらでも容姿を変化させます。
つまり僕はアピストにしてみればとても迷惑な環境でも強要します。
僕に関してですが銀松さんが提唱?されている“お魚目線”ってものは、
ありえないです。(銀松さんに関しては商売上のキャラ作りだと思いますが・・・)
魚の目線でいってみればわざわざ狭い水槽内で飼われる事はいいわけないですし、
わざわざ輸送中に死ぬ危険を冒してまで日本にくる理由がないですよね。
大体魚目線で言えば僕らは確実に敵でしょう。
もし、僕らアピスト愛好家で魚の目線を語れるとしたら、
アピストを購入し、できるだけ最高の環境を用意して天寿を全うさせ、
その中で確実にFを採ってFの中で親と同等の個体のみ数prを
親がいた場所に放流できる人のみでしょう。
そんな人は僕の知ってる限りではいませんし、
きっと日本にはいないでしょう。
魚を飼育してない人の意見としては魚を飼う事自身虐待だというでしょう。
僕はそれに対して何も反論する気はありません。
って言うか出来ないです。
僕の言える事はエゴで飼っている事は分かってます。
それでも好きなんです、こいつらを飼育するのが・・・
って事ぐらいでしょう。
いくら僕らが買わなくても買う人はいっぱいいる。
もし誰も買わなくなったら現地の漁師は収入が得られなくなり、
結果森林を伐採しアピストの生息地を台無しにして
アピストはいなくなってしまう。
ってのも飼育側の詭弁でしかありません。
ですから、生き物を販売する業者さんや、問屋さん、現地の漁師さん、
もちろん僕ら飼育者は魚の目線など持ち合わせる事は出来ないのです。
って言うか、エゴで飼っているのを綺麗な言葉でごまかすのは
僕には出来ないんです。
飼育する以上は自分が出来うる限りの最高の環境を用意する事や
魚を良く観察するのは当たり前のことで
それが出来る事が魚の目線で飼育してる事と勘違いして
自分を正当化するのは僕には出来ません。
で、僕の飼育の方法ですがホントに魚にとっては迷惑だと思います。
批判されても変える気はありませんし、観賞魚なんですから
自分が綺麗と思えるようにしないと飼ってる意味もありません。(他にもあるんでしょうが・・)
僕の魚に対する目線と言うのはいわゆる魚目線とはまるで逆で
飼育者=君主(別に王でも神でも言い方は何でも良いです。要は支配者って意味です。)
魚=奴隷
これです。
君主が奴隷の事をどんなに思っても奴隷側から見れば
そんな事より開放してくれ!!って思うでしょう。
だから飼育者=君主は魚=奴隷とは友達になれるわけもないのです。
僕の体調次第では魚の面倒も見れなくなりますし、
僕の都合でかなり魚の日々が変わります。
これが同等の目線でって事になれば
そんな事は出来ません。
もし友達が事故で僕の助けが必要な時に見たいテレビがあるから
2時間後にして~なんて言えるわけもないです。
でも、相手が魚なら普通にしてしまいますし、
仕事で出張なんて場合は短期なら放っておく事になるでしょう。
もちろん、飼育する以上は最低限の事はきちんとします。
水に関してもある程度のphやgh等は調整します。
具体的にはソイルを使えばほとんど調整がきかなくなりますので
あまり水質に影響を与えない富士砂に変えたり、色んな努力はしてます。
それでも現地と同じか?と聞かれれば違うと言わざるを得ないです。
色々工夫して起こらないようにしてますが、
オスメスのけんかによって片方がしんでしまうこともあります。
観察や自分に出来る限りですがいい環境を作ってあげてるつもりでも
病気に罹って死んでしまう事もあります。
個体によっては産卵箱に閉じ込め、餌を1ヶ月抜く事もあります。
(餌を抜くのは現地でも毎日餌を食べれる事はないと思いますので、魚にとっては当たり前かもしれません。)
自分が管理できないから種親候補以外のFは混泳水槽に
入れて飼い殺しになってしまいます。
Fが採れるから、Fがちゃんと鱗乱れも無く、奇形も出ない綺麗に育ってるから・・・
=魚目線では無いと思います。
↑のような状況なら魚目線と言えるなら
僕も魚目線で飼育できてるって事になるのでしょうが、
僕の中の魚目線とは大きく異なります。
僕自身完璧に納得できるFを採った事も一度もないですし・・・
採れたとしてもそれを現地に放流しよう!!と思ったことも思うこともないですから。
だから、僕は魚目線と言うのは言ってはいけない事だと思っています。
色々反論もあるでしょうが、僕に関しては絶対言えない(言ってはいけない)言葉です。
自分のエゴによる被害者である魚に深謝の気持ちと感謝の気持ちで
いっぱいですが、自分のやっていることを綺麗な言葉でごまかすのは
僕にはできません。
これを見て気分を害する方もいるでしょう。
本当に申し訳ないです。
僕自身もこの事に関しては書くまいと思ってたんです。
それでも、今の飼育者の風潮を見ると書かないといけないような気がして書く事にしました。
この記事に関してコメントをいただくのは嬉しいですが、
僕自身この意見を変える気が無いので、
反論されても書いてある通りです・・・しか言えません。
どうぞご了承ください。
この記事を呼んでいただき皆さんがもう一度自分の言動や行動を顧みてくだされば幸いです。
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まず、アピストという魚に関して僕はかなり特別な感情をいだいています。
“愛情”と言うものとは違うかもしれませんがかなりそれに近いものを感じています。
ですが、あくまで観賞魚なので自分の好みの(綺麗と思える)個体にたいしてだけです。
シクリッドってのは魚の進化の最先端にいると思います。子育てなどの方法を見ても
分かりますし、個体差が激しい事からもわかります。
ですから、人間と同じように環境次第でいくらでも容姿を変化させます。
つまり僕はアピストにしてみればとても迷惑な環境でも強要します。
僕に関してですが銀松さんが提唱?されている“お魚目線”ってものは、
ありえないです。(銀松さんに関しては商売上のキャラ作りだと思いますが・・・)
魚の目線でいってみればわざわざ狭い水槽内で飼われる事はいいわけないですし、
わざわざ輸送中に死ぬ危険を冒してまで日本にくる理由がないですよね。
大体魚目線で言えば僕らは確実に敵でしょう。
もし、僕らアピスト愛好家で魚の目線を語れるとしたら、
アピストを購入し、できるだけ最高の環境を用意して天寿を全うさせ、
その中で確実にFを採ってFの中で親と同等の個体のみ数prを
親がいた場所に放流できる人のみでしょう。
そんな人は僕の知ってる限りではいませんし、
きっと日本にはいないでしょう。
魚を飼育してない人の意見としては魚を飼う事自身虐待だというでしょう。
僕はそれに対して何も反論する気はありません。
って言うか出来ないです。
僕の言える事はエゴで飼っている事は分かってます。
それでも好きなんです、こいつらを飼育するのが・・・
って事ぐらいでしょう。
いくら僕らが買わなくても買う人はいっぱいいる。
もし誰も買わなくなったら現地の漁師は収入が得られなくなり、
結果森林を伐採しアピストの生息地を台無しにして
アピストはいなくなってしまう。
ってのも飼育側の詭弁でしかありません。
ですから、生き物を販売する業者さんや、問屋さん、現地の漁師さん、
もちろん僕ら飼育者は魚の目線など持ち合わせる事は出来ないのです。
って言うか、エゴで飼っているのを綺麗な言葉でごまかすのは
僕には出来ないんです。
飼育する以上は自分が出来うる限りの最高の環境を用意する事や
魚を良く観察するのは当たり前のことで
それが出来る事が魚の目線で飼育してる事と勘違いして
自分を正当化するのは僕には出来ません。
で、僕の飼育の方法ですがホントに魚にとっては迷惑だと思います。
批判されても変える気はありませんし、観賞魚なんですから
自分が綺麗と思えるようにしないと飼ってる意味もありません。(他にもあるんでしょうが・・)
僕の魚に対する目線と言うのはいわゆる魚目線とはまるで逆で
飼育者=君主(別に王でも神でも言い方は何でも良いです。要は支配者って意味です。)
魚=奴隷
これです。
君主が奴隷の事をどんなに思っても奴隷側から見れば
そんな事より開放してくれ!!って思うでしょう。
だから飼育者=君主は魚=奴隷とは友達になれるわけもないのです。
僕の体調次第では魚の面倒も見れなくなりますし、
僕の都合でかなり魚の日々が変わります。
これが同等の目線でって事になれば
そんな事は出来ません。
もし友達が事故で僕の助けが必要な時に見たいテレビがあるから
2時間後にして~なんて言えるわけもないです。
でも、相手が魚なら普通にしてしまいますし、
仕事で出張なんて場合は短期なら放っておく事になるでしょう。
もちろん、飼育する以上は最低限の事はきちんとします。
水に関してもある程度のphやgh等は調整します。
具体的にはソイルを使えばほとんど調整がきかなくなりますので
あまり水質に影響を与えない富士砂に変えたり、色んな努力はしてます。
それでも現地と同じか?と聞かれれば違うと言わざるを得ないです。
色々工夫して起こらないようにしてますが、
オスメスのけんかによって片方がしんでしまうこともあります。
観察や自分に出来る限りですがいい環境を作ってあげてるつもりでも
病気に罹って死んでしまう事もあります。
個体によっては産卵箱に閉じ込め、餌を1ヶ月抜く事もあります。
(餌を抜くのは現地でも毎日餌を食べれる事はないと思いますので、魚にとっては当たり前かもしれません。)
自分が管理できないから種親候補以外のFは混泳水槽に
入れて飼い殺しになってしまいます。
Fが採れるから、Fがちゃんと鱗乱れも無く、奇形も出ない綺麗に育ってるから・・・
=魚目線では無いと思います。
↑のような状況なら魚目線と言えるなら
僕も魚目線で飼育できてるって事になるのでしょうが、
僕の中の魚目線とは大きく異なります。
僕自身完璧に納得できるFを採った事も一度もないですし・・・
採れたとしてもそれを現地に放流しよう!!と思ったことも思うこともないですから。
だから、僕は魚目線と言うのは言ってはいけない事だと思っています。
色々反論もあるでしょうが、僕に関しては絶対言えない(言ってはいけない)言葉です。
自分のエゴによる被害者である魚に深謝の気持ちと感謝の気持ちで
いっぱいですが、自分のやっていることを綺麗な言葉でごまかすのは
僕にはできません。
これを見て気分を害する方もいるでしょう。
本当に申し訳ないです。
僕自身もこの事に関しては書くまいと思ってたんです。
それでも、今の飼育者の風潮を見ると書かないといけないような気がして書く事にしました。
この記事に関してコメントをいただくのは嬉しいですが、
僕自身この意見を変える気が無いので、
反論されても書いてある通りです・・・しか言えません。
どうぞご了承ください。
この記事を呼んでいただき皆さんがもう一度自分の言動や行動を顧みてくだされば幸いです。
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by at.diary
| 2006-05-15 11:51
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